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アーバンチャンピオン

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1984年 11月14日 
開発(任天堂)
販売(任天堂)
見どころ ストリートファイト
      パトカーが来て一時中断

自己ベスト 延々と続くのでラウンド41で放棄

完成度 ☆☆☆
知名度 ★★★★

今回の調査物は1984年に世にでた任天堂のアーバンチャンピオンだ。
プレイヤーはストリートファイトを繰り返し、最終的に相手をマンホールに落とす事が目的。
十字キーの上下で顔面とボディの攻撃と防御を切り替える事が出来る。
Aボタンは早いが軽いパンチ、Bボタンは遅いが重いパンチに使用する。
途中2階から植木鉢を落としてくるおっさんや、パトカーが来て両者しらんぷりする演出が面白い。
しかしコンピュータ戦はきわめて奥が浅く、2プレイヤー対戦で主に遊ぶゲームとなっている。
by fairladyz_soarer | 2004-04-17 00:06 | ファミリーコンピュータ | Comments(0)

デビルワールド

c0022442_19402986.gif1984年 10月5日 
開発(任天堂、岩崎技研工業)
販売(任天堂)
見どころ 可愛らしいキャラクター
      気持ちの良い音楽
      美しいグラフィック

自己ベスト 131300 ラウンド6

完成度 ☆☆☆☆☆
知名度 ★★★★

今回の調査物は1984年に世にでた任天堂のデビルワールドだ。
プレイヤーはタマゴンを操り、メダマンや子デビルの妨害をかわしながら、すべてのドットを取るのが目的。
第2ステージは四隅に散らばったバイブル(聖書)を中央のデビルホールにはめることでステージクリアとなる。
2人同時プレイ可能のドットイートゲーム。最後にボーナスステージも用意されている。
タマゴンは十字架を持っている間だけ、ドットを食べることが出来る。
タマゴンは十字架やバイブルを持っている間は、ボタンで火を吐いてメダマンを目玉焼きにして食べる事が出来る。
子デビルは倒せない。スクロールでローラーと壁の間に挟まれたり、敵に接触するとミスになる。
画面中央上で画面のスクロールを指揮するデビルの動きが面白い。
効果音や音楽も良く、任天堂初期の隠れた名作と言える。
開発を担当したのは宮本茂(「ドンキーコング」のデザイナー)と入社したばかりの手塚卓志(デザイナー)と近藤浩冶(音楽)。
プログラマーは同年にファミコンで「テニス」、「ワイルドガンマン」、「ダックハント」、「ホーガンズアレイ」を担当した
岩崎技研工業に雇われていた大学生達で、後に任天堂のセカンドパーティとなるインテリジェントシステムズである。
(岩崎技研工業を前身としているインテリジェントシステムズは、1986年12月に設立される)
by fairladyz_soarer | 2004-04-16 00:01 | ファミリーコンピュータ | Comments(0)

ロードランナー

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1984年 7月31日 
開発(ハドソン)
販売(ハドソン)
見どころ 可愛らしいキャラクター
      穴を掘る

自己ベスト 11面

完成度 ☆☆☆☆
知名度 ★★★★★

今回の調査物は1984年に世にでたハドソンのロードランナーだ。
1983年に「Apple II」で発売された米国のブローダーバンド社の人気パソコンゲームを
ハドソンが版権を得て、ファミコンにリメイクした作品。アーケードのアイレム製との違いは、
見えない落とし穴があったり、横にスクロールする、面の構成がまるで違う等がある。
また、金塊を奪った敵が点滅しないので誰が金塊を奪ったか一目で分からない。
音楽やキャラクターも可愛くデフォルメされている。全50面。
セレクトボタンでステージセレクトが出来、ステージを自作出来るエディットモードも用意されている。
ファミコンで110万本以上のセールスを記録している。
任天堂に一度に大量にカセットを注文していた為(30万本)、もし売れなかったらハドソンは倒産も覚悟していたらしい。
結果この決断が功を奏し(売り時に一気に売れた)、パソコン市場とは規模が違う儲けを得て
(パソコン市場では1万本売れれば大ヒット)、ハドソンは急成長を遂げる事になる。
このソフトの大成功を機にハドソンはパソコンから家庭用TVゲーム機用ソフトの開発へとシフトしていく事になる。
by fairladyz_soarer | 2004-04-15 00:22 | ファミリーコンピュータ | Comments(0)

ナッツ&ミルク

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1984年7月28日
開発(ハドソン)
販売(ハドソン)
見どころ 可愛らしいキャラクター

自己ベスト 70200 9面

完成度 ☆☆☆
知名度 ★★★★


今回の調査物は1984年に世にでたハドソンのナッツ&ミルクだ。
同年に同社から発売されたパソコンゲームをファミコンにリメイクした作品。
ファミコンのサードパーティ第1弾タイトルという記念すべきゲーム。
プレイヤーはミルクを操り、ライバルのナッツの妨害をかわしながら、
恋人のヨーグルの元にフルーツを持って助け出すのが目的。
ボタンはジャンプに使用する。ロープの上ではジャンプ出来ない。
ジャンプ台はタイミングを合わせてボタンを押すとハイジャンプが出来る。
ゲームBでは敵の飛行船や得点のヘリコプターも登場する。謎。
さらにゲーム中にセレクトボタンを押すと勝手に次のステージに進む。もっと謎。
全50面のアクションゲーム。エディットモードも有り、ステージを自作出来る。
ブロックのテカリで画面が綺麗。「マリオブラザーズ」で登場する火の玉がまんま出てきたりする。
キャラクターは可愛らしく、高い所から落ちると気絶して倒れたり非常にコミカル。
ボーナスゲーム後のミルクとヨーグルのラブラブ具合など見てて微笑ましい。
ミルクとヨーグルで色がピンクだと両方メスっぽいが・・・もしかして・・・。
ちなみに本命の「ロードランナー」が売れなかった時用のバックアップ的な役割として発売されたらしい。
ファミコンで40万本以上の販売本数を記録している。
by fairladyz_soarer | 2004-04-14 00:24 | ファミリーコンピュータ | Comments(0)

ファミリーコンピュータ

ここで少しファミリーコンピュータの歴史をおさらいしてみよう。
「ファミリーコンピュータ」は任天堂とリコーが協力して開発した家庭用TVゲーム機。
1983年7月15日に1万4800円という高性能な割りに超低価格で発売される。
本体同時発売タイトルは「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」の3本。
操作には同社が1980年に発売した携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」で好評だった十字キーを採用。
初期型のコントローラのボタンはゴム製の四角ボタンであったが、ゴムがちぎれる故障が相次いだ為に、
ハードが一気に売れるようになってからは耐久性の高いプラスチックの丸ボタンに変更されている。
当時のテレビにはまだ外部接続端子がほぼ付いておらず、ゲーム機の映像をテレビに映すには
アンテナ線を使ってテレビの空いたチャンネルに割り込んで使うRF出力が一般的である。

ファミコンのサードパーティとして最初に契約したのが、当時パソコン業界で圧倒的なシェアを誇ったハドソンである。
任天堂とハドソンの接点は多少複雑で、任天堂と親交のあった会社として「光線銃」の太陽電池の提供や
「ゲーム&ウォッチ」の液晶を提供していたのがシャープであり、シャープと親交があった会社として
シャープのパソコン「MZ」シリーズでベーシックを提供していたのがハドソンである。
その関係から、シャープが任天堂の「ファミリーベーシック」の開発をハドソンに相談した事で、
まだファミコンが発売される前の1983年春にハドソンがファミコンの開発機を受け取った事から始まる。
ファミコンの性能に驚愕したハドソンは、ファミコンを解析し、ファミコン発売後の1983年末に
ファミコンで自社ソフトを発売する許可を得る為のライセンス契約を任天堂と結んでいる。
当初任天堂はセガと同様、他社からソフトを出してもらうという事を考えていなかったが、
アーケードでライバルであるナムコまでもがファミコンを独自に解析し、すでに完成している「ギャラクシアン」を
1984年に任天堂に持ち込んで交渉するという想定外の出来事で歴史は変わったのである。
(この時点でナムコは1984年8月に1989年7月までのライセンス契約を任天堂と結んでいる)
この後のスタンダードとなるサードパーティになる為の契約を一部紹介しよう。

・「参入の為のライセンス料を払い、1台500万円程のソフト開発機材を任天堂から借りるか購入する」、
〔サードパーティとのライセンス制が始まったのは日本ではファミコンが初だが、アメリカでは前例がある。
1977年に発売された北米の家庭用TVゲーム機「ビデオコンピュータシステム」では1982年までライセンス制は存在しない。
(以下「ビデオコンピュータシステム」は略称の「VCS」と、1982年の改名以降は「アタリ2600」で表記する)
発売から数年経って「VCS」でライセンス制が導入されたのは、アタリ社の開発者が待遇に腹を立て独立して
設立したアクティビジョン社が「VCS」用ソフトをアタリに無断で発売し、思いもよらず大儲けしていたからである。
(原因は単純にアクティビジョンのゲームの方がアタリのゲームよりも面白い作品が多かったからである)
アタリはアクティビジョンを裁判で訴えていたが、本体側にセキュリティシステム等の対策を施していなかったので
裁判が長期化する中で情勢はアタリに不利になっており、アタリはアクティビジョンとの和解を余儀なくされていた。
つまり敗訴して無断で好き勝手に発売されるよりかはライセンス料を取れさえすれば良いと考えていたので、
許諾した他社(40社以上)が発売するソフトの中身の検閲や細かな取り決めは行わず、
膨らんだ市場には出来の悪いソフトが大量に売れ残り、ソフト価格の暴落が始まる事になる。
新品ソフトが定価で売れない為に多くの小売店が新作を取り扱わなくなってしまったのである。
当時の米国では日本とは違い、家庭用TVゲームを販売店に直接卸していたので問屋を使わず(業務用は使う)、
販売店が売れなかった分をメーカーに返品出来るので日本のように売り逃げという事が出来ないが、
しかしながら返品されるくらいだったら投売りをして倒産して逃げる会社が後を絶たなかったのである。
ただし、一番の原因はゲームを遊びもせずに利益しか考えていないアタリの親会社のワーナー社の経営陣が、
1982年12月に人気映画のタイアップなら売れるだろうと「E.T.」という完成度の低いゲームを600万本も作ってしまい、
内150万本を売り上げたが、多大な損失とそれに伴い多くの一般ユーザーの興味を失わせた事による。
(「VCS」ではアタリ社自身が移植して1982年3月に発売した「パックマン」が、
移植と呼ぶにはあまりにお粗末な出来ながら、700万本以上も売れるという大ヒットとなっていた)
ハードを引っ張って行くべきアタリ社自身が大規模な宣伝をして駄作を売りつけたのである。
1982年10月に発売された後継機「アタリ5200」の仕様上の失敗や、ミスティーク社が10月に発売して
議論と騒動を呼んだ「カスターズリベンジ」等の非公認アダルトソフトを野放しにする等の複数の要因も重なり、
(前述のセキュリティシステムの件で訴えたくても訴える事が出来なかったというのが真相である。
この問題は1986年1月に発売された家庭用TVゲーム機「アタリ7800」でやっと解決する)
呆れたアタリユーザーの多くは1982年8月に発売された米国コレコ社の家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」や、
(「コレコビジョン」では「アタリ2600」のソフトを「コレコビジョン」上で動かす拡張モジュールが1983年に発売されていた。
当然アタリに訴えられたのだが、一般的な部品しか使われていないという理由でアタリは裁判で不利になり、
3ヶ月後にコレコが「アタリ2600」のライセンス料を払うという形で合意し、示談で解決している。
これを受け、同年にコレコは「アタリ2600」のクローン機である家庭用TVゲーム機「コレコジェミニ」までもを販売する)
1982年8月に販売された米国コモドール社の「コモドール64」等のパソコンに興味を示したのである。
(「コモドール64」の販売台数は世界で1700万台以上。世界で最も売れたパソコンとしてギネスに登録されている)
これらアタリ社の栄光と挫折を勉強した任天堂社長の山内溥は生活必需品ではない家庭用TVゲームの人気の維持、
市場の健全化には細かで厳しいライセンス制度と常に質の高いソフトを出し続ける必要があると考えたのである。
(ちなみに日本の「MSX」等のパソコン市場ではライセンス制は無く、やはり質の悪いゲームが非常に多い。
ただ、ライセンス料を取ろうが取るまいがファミコンのように人気のあるハードには東映動画や東宝のような
資金力のある他業種のメーカーが質の悪いソフトを大量に発売してしまうので必ずしも問題が解決したとは言えない。
また、米国や欧州ではゲームソフトをレンタル出来るシステムが一般化している点で日本と状況が異なっている)〕

・「基本的に自社生産は駄目で任天堂に製造費を払って任天堂の工場でカセットを作ってもらう」、
(他社の作り過ぎによる値崩れを防ぐ為の措置。例外があり、カセットの形状が特殊な物は自社生産品。
カセット1個に付き箱説明書の印刷費込みでおよそ2000円。金額は容量によって変動する。
また、一度にたくさん量を注文する程に手数料を支払わなければならない。
例:ハドソンの「ロードランナー」では任天堂に30万本注文した場合、すべて込みで6億円の前金が必要だった)

・「1社が年間に発売出来るタイトル数を制限する」、
(粗製乱造を防ぐ為。例:サン電子では年間で発売してよい数は3本までと決められていた)

・「任天堂がゲームの内容をチェックする」、
(過激なシーンや卑猥なシーンが直接描写されていた場合にはメーカーに削除を要請する。
テストプレイをしてフリーズなど致命的なバグがあった場合にはメーカーに修正を要請する。
この時にソフトの出来が悪いと判断されると一度に大量のカセットの製造を発注しても許可が下りない。
後の任天堂のアルバイトのデバッグ集団として有名なマリオクラブの前身である。
例:1992年にスーパーファミコンで発売されたアトラスの「真・女神転生」では、
六本木で幼馴染が鎖で縛られているシーンがあるが、任天堂の要請により鎖のグラフィックが削除されている。
また、とあるゲームでは麻薬という言葉がチェックに引っ掛かり、変更された例もある。
ただしこれらはスーパーファミコンの例であり、ファミコンソフトで中味までのチェックが行われたかどうかは定かではない。)

「ゲーム&ウォッチ」の凋落や海外のアタリ社の失敗(通称アタリショック)を教訓としてのやり方だが、
年間本数制限や手数料の金額も参入した順番によって違うというから企業にとってはたまらない。
参入当初はハドソン、ナムコ、タイトー、コナミ、アイレム、ジャレコの6社は年間本数制限無し、
ナムコ、タイトー、コナミ、アイレム、ジャレコ、サン電子、バンダイはカセットを自社で製造してよいと特に優遇されている。
実はセガもファミコン参入をしようとしたが、この契約にどうしても納得いかず独自の道を進む事になる。
任天堂VSセガ(連邦軍VSジオン軍)の始まりである。
しかしながら参入企業が多くなるにつれ、待遇の違いに企業から不平不満が出始め、
任天堂は特定他社と取り決めていた優遇処置を無くして平等にしていく必要があった。
また、優遇処置もファミコンが十分普及した事により、ライバル企業を助けている事に他ならず、
特にハドソンやナムコはファミコン市場であまりに大きくなっており、
このままだと自分たちの作った場をのっとられかねないと任天堂は危惧していた事だろう。
不安は的中し、ハドソンはファミコンで発売する自社ソフトが常に100万本売れる事から、
さらなる利益を求めてNECと組んで家庭用TVゲーム機「PCエンジン」を開発する事になる。
ナムコはデータイースト、日本物産、日本ファルコム、ウッドプレイス等が開発したソフトの販売を次々と肩代わりして、
ナムコの大型の工場で大量生産する事でソフトを他社よりも低価格で発売する。
そして中身がほとんど前作と変わらず、パッケージも前作に87年度版とシールを貼っただけという
後に問題視される完全版商法の走りとも言える「ファミリースタジアム'87」で荒稼ぎ(130万本)をして、
より好待遇のPCエンジン市場にソフトを展開していく。
任天堂にとっては疎ましい存在になっていたのだろう。遂にこれが表面化する事になる。
ナムコは米国のファミコン(NES)でも自社でカセットを製造して輸出販売しようとした所、任天堂から許可が下りず、
(ファミコンとNESは別の機械なのでNESでソフトを出すなら任天堂アメリカと新規に契約してほしいという事)
1988年11月に京都地裁に任天堂を訴えた事から任天堂との関係が急速に悪化する事になる。
結果翌年3月にナムコは敗訴し、7月の契約更改では製造以外での優遇処置は無くなり、他社と同等となっている。
任天堂VSナムコの始まりである。
これら不利な契約に合意してでも多数のメーカーが続々とファミコンに参入したいと申し出ているのは、
それだけファミコンというゲーム市場は企業にとって金の生る木だったからである。
任天堂はメーカーに厳しく、ユーザーに優しい会社であったと言える。

超高性能な上に低価格、十字キーによる高い操作性、標準でコントローラを2つ装備、
同時発売タイトルの自社製品の完成度の高さもあって、
アーケードやパソコンで活躍するサードパーティの人気ソフトが集中し、
「ゼビウス」や「スーパーマリオブラザーズ」の発売時には人気が加速して品切れ状態となる。
発売1年半で160万台以上を売り上げ、任天堂はファミコンゲームソフト開発に注力する為に
将来性を見据え、なんと好調だったアーケードゲーム界からの完全撤退を発表する。
アーケードの「ドンキーコング」で作り過ぎたモニタの在庫を活用する為に2つのモニタを使用する
「パンチアウト!!」や任天堂VS.システムでヒットを飛ばしてすべての在庫を掃いた完璧な去り際だった。
コンピュータゲーム界で先陣を切っていたアメリカが業務用、家庭用共に低迷する中、
日本では恵まれたハードの普及により、競合他社との技術の磨き合いでゲーム作りのノウハウを育て、
独自の文化へと成長し、ファミコンは日本のゲーム界の発展に大きく貢献している。
1990年に発売された後継機の「スーパーファミコン」登場後も4年間新作ソフトが出続け、
国内では1994年6月に発売された「高橋名人の冒険島 IV」が最後のファミコンソフトとなっている。
北米では1994年12月に発売された「ワリオの森」が最終ソフトとなっている。

1993年12月にAV出力可能でコントローラの取り外しが出来る「ニューファミコン」が7000円で発売される。
既にこの時期はファミコン市場は末期だったので、まだファミコンを遊んでくれている人に向けて、
AV出力に対応してこれからも長く遊べるようにとのファンサービスな側面が強かったと思われる。
そして2003年9月に「スーパーファミコンジュニア」と共に製造終了となっている。
ファミコンの愛称で親しまれたファミリーコンピュータは日本で1900万台以上の販売数を記録している。
これは日本の人口が1億2000万人として1家族4人とすると、2世帯に1台はファミコンがあるという事になる。
米国では1985年10月18日に発売され、名称はNintendo Entertainment System(NES)。
任天堂のRPG「マザー」の主人公の名前がネスなのはここからきている。
米国での本体同時発売タイトルは「スーパーマリオブラザーズ」を含む日本国内で人気の18タイトル。
発売後まもなく「スーパーマリオブラザーズ」+本体が一緒になったセットと、
「ファミコンロボ」+「ジャイロ」+「光線銃」+「ダックハント」+本体が一緒になったデラックスセットが発売されている。
米国では発売から2年で400万台、3年で1100万台、そして4年で日本を越える2000万台の販売台数を突破し、
この時点でアメリカ国民の10人に1人がファミコンを持っている計算になる。
ニューヨーク最大のおもちゃ屋「トイザラス」と「FAOシュワルツ」の任天堂コーナーの試遊台には
「プレイは一人5分以内」と注意書きがしてあった程で、当時の人気を伺い知る事が出来る。
欧州では1986年9月1日に発売され、こちらも大ヒットを記録している。
ファミリーコンピュータは世界を含めて6200万台以上の販売数を記録している。
by fairladyz_soarer | 2004-04-13 01:50 | ファミリーコンピュータ | Comments(4)

スパルタンX

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1984年 12月稼働 
開発(アイレム)
販売(アイレム)
見どころ ボスの笑い声

自己ベスト 80160 4階

完成度 ☆☆☆
知名度 ★★★




今回の調査物は1984年に世にでたアイレムのスパルタンXだ。
アイレムのシステム基板「M62」で登場の任意横スクロールアクションゲーム。
ジャッキー・チェン主演の同名映画とのタイアップで制作された。
プレイヤーは主人公トーマスを操作し、ミスターXにさらわれたシルビアを救出することが目的。
2つのボタンはパンチとキックに使用する。ジャンプキックやしゃがみパンチも出来る。
4方向レバーなので斜めジャンプは軽く助走を取ってからレバー上を入力する必要がある。
絶えず襲ってくる雑魚がうっとおしい。各階の最後にはボスが待ち構えている。全5階。
雑魚の攻撃の吸い付きは、ディープキスにしか見えず非常に異様。
ナイフ男のナイフや、上から落ちてくる落下物に当たると1発で体力の半分を消費する。
やられるとステージの最初から。難易度は高く、操作性もあまり良くないのが残念。
横スクロールアクションというゲーム性を確立し、後のゲームに大きな影響を与えている。
by fairladyz_soarer | 2004-04-11 00:06 | アーケード | Comments(0)

三輪サンちゃん

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1984年 12月稼働
開発(セガ)
販売(セガ)
見どころ 可愛らしいキャラクター
      サイドアタック

自己ベスト 221650

完成度☆☆☆☆
知名度★★

今回の調査物は1984年に世にでたセガの三輪サンちゃんだ。
セガのシステム基板「セガシステム1」で登場の任意スクロールレーシングゲーム。
三輪車に乗ったサンちゃんを操作し、ステージにあるフラワーをすべて取るとステージクリア。
ボタンはサイドジャンプとブロックを飛ばすのに使用する。敵に触れるとミスになる。
反対車線を走る敵をサイドアタックで弾き飛ばす事が出来るのが面白い。
所々にブロックがあり、これで敵をまとめて倒したり、障害物として敵の進行を止めたり出来る。
敵といいコミカルな内容は同社の名作「フリッキー」のヒットの影響を想わせる。全100面。
by fairladyz_soarer | 2004-04-09 00:20 | アーケード | Comments(0)

1942

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1984年 12月稼働 
開発(カプコン)
販売(カプコン)
見どころ 緊急回避の宙返り

自己ベスト 216780

完成度 ☆☆☆
知名度 ★★★★★



今回の調査物は1984年に世にでたカプコンの1942だ。
太平洋戦争が舞台という硬派な縦スクロールシューティングゲーム。
プレイヤーはP-38ライトニングを操り、日本軍の戦闘機を撃墜するのが目的。
2つのボタンはショットと緊急回避に使用する。
緊急回避を使用すると宙返りして一時的に無敵状態になるが使用数には限りがある。
ステージ途中に登場する赤い飛行機の編隊を全滅させるとPowアイテムが出現し、
取ると通常ショットのパワーアップの他に、色によっては画面上の敵を一掃したり、
味方機のオプションが自機の脇に付いたりと様々な効果がある。
応援団のようなBGMがプレイヤーを鼓舞してくれるが、
32ステージという長丁場と、変わり映えのない展開が少々中だるみを感じてしまう。
プレイ時間が比較的長いという事もあり、プレイヤーから人気を集めて息の長い作品となった。
by fairladyz_soarer | 2004-04-08 00:43 | アーケード | Comments(0)

ロードファイター

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1984年 12月稼働 
開発(コナミ)
販売(コナミ)
見どころ 美しいグラフィック
      カウンターで体制を立て直す

自己ベスト 84940

完成度 ☆☆☆
知名度 ★★★


今回の調査物は1984年に世にでたコナミのロードファイターだ。
プレイヤーはコルベットを操作して無事ゴールに辿り着く事が目的。
2つのボタンはギアのローとハイに使用する。
大型車やガードレールにぶつかると車が爆発し燃料が減って再スタートとなる。
敵車との接触時に逆ハンドルを切ると体制を立て直すことが出来るが、
道幅が狭いコースが多いので瞬間的に立て直さなければならないのがきつい。
ガソリンが無くなる前にチェックポイントに辿り着けなければゲームオーバーとなる。
1982年に登場したデータイーストの「バーニンラバー」を参考にしている。
ジャンプはしないが高速スクロールによるスピード感は抜群。
by fairladyz_soarer | 2004-04-08 00:40 | アーケード | Comments(0)

VS.エキサイトバイク

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1984年 12月稼働 
開発(任天堂、SRD)
販売(任天堂)
見どころ 可愛らしいキャラクター
      モトクロス

自己ベスト 120145 トラック4

完成度☆☆☆☆☆
知名度★★★


今回の調査物は1984年に世にでた任天堂のVS.エキサイトバイクだ。
ファミコンの基板を元にした任天堂VS.システムで登場のレースゲーム。
プレイヤーはモトクロスレーサーとなり、各レースの表彰台に立つ事が目的。
2つのボタンはアクセルとターボに使用する。ターボを使い過ぎるとオーバーヒート状態になり、
タイムロスになってしまうので注意。各トラックの2レース目ではライバルも追加され、
後輪を相手の前輪に引っ掛ける事で相手を転倒させることが出来る。
また、レバー左でウイリーをすることで小さい段差をやり過ごす事が出来る。
自分が転倒してしまった場合は、ボタン連打でタイムロスを短縮出来る。
5位までに入賞すると次のレースに挑戦する事が出来る。全7トラックの14レース。
トラックの途中には荷台を飛び越えるボーナスゲームも用意されている。
どんなに自分が上位タイムでも前を走っている他選手が走行妨害の如く邪魔だが、
型にはまらない的確な状況判断が求められるバランスはこれはこれで良い。
非常に操作性が良く、同年11月に発売しているファミコン版は150万本以上のセールスを記録した。
1988年に発売されたディスクシステム版がアーケード版に近い内容になっている。
さらにディスクシステム版はエディットコースのセーブが可能で、上下2分割による
2プレイヤー同時対戦が出来る。また、レース中に軽快なBGMも流れるようになっている。
by fairladyz_soarer | 2004-04-07 00:55 | アーケード | Comments(0)