ここで少し「ビデオコンピュータシステム」の歴史をおさらいしてみよう。
「ビデオコンピュータシステム」はアタリ社が開発した当時はまだ珍しいカセット交換式の家庭用TVゲーム機。
1977年10月14日に199ドル(当時の日本円で4万円程)でアメリカで発売される。
ビデオコンピュータシステムは略してVCSと表記される事が多い(以下「VCS」と表記する)。本体同時発売タイトルは9本。
世界で初めて家庭用ゲーム機にスプライト機能を搭載した名機である。
本体には電源、難易度x2、テレビタイプ、ゲームセレクト、リセットを切り替える6つのレバーが付いている。
コントローラはジョイスティック型で赤いボタンが1つ付いている。右手でジョイスティック、左手でボタンを操作する。
発売当初からシアーズ社がOEM供給を受けており、「テレゲームビデオアーケード」の名で販売している。
日本では1977年に東洋物産、1978年に河田、1979年にエポック社が代理販売をしている。
1982年に発売された後継機「アタリ5200」登場時に、「VCS」は「アタリ2600」に名称を変更している。
1975年にシアーズ社と協力して家庭用「ポン」を成功させたアタリ創業者のノーラン・ブッシュネルは、
1976年に発売されたフェアチャイルド社の世界初のカセット交換式家庭用TVゲーム機「VES」(後のチャンネルF)を見て、
開発を進めていた新型の家庭用TVゲーム機をカセット交換式で発売する事を決断する。
しかしアタリ社には大量生産出来る程の資金はまだ無かったので、ワーナー社にアタリの株式を売却し、
親会社となったワーナー社から資金協力を経て、1977年に「VCS」が発売される事になる。
発売初年度は25万台を売り上げ、1978年に55万台を売り上げて販売台数は計80万台になり、
他社との競争には勝ったが、定価が高かった事で売り上げは当初の予想を大きく下回ってしまう。
(「VCS」はカートリッジで利益を上げる仕組みだった為、本体が売れなければソフトからの利益も見込めない)
アタリ社の会長のブッシュネルは、ワーナー側と予算会議の場で「VCS」の価格面の事で激しく口論となり、
(ブッシュネルは価格を下げてくれと要求したが、ワーナーは品質が落ちるから出来ないと反対していた)
ワーナー社の役員を除いて重役会議を開いた事がきっかけで、ブッシュネルはアタリ社を解雇されてしまう事になる。
1979年に「VCS」は「ブラックジャック」の続編「カジノ」と本体付属品の効果もあり、90万台を売り上げたが、
新たにアタリの社長になった元繊維会社で活躍していたワーナー側のレイモンド・カサールが、
待遇に腹を立てた「VCS」の開発者に対して「代わりは幾らでもいる」旨の発言をした事から、
アタリのデザイナー兼プログラマーの4人がアクティビジョン社を設立し、さらに主力が次々とアタリを去る事になる。
しかし1980年に「VCS」ソフトの「アドベンチャー」とタイトーから許諾を受けた「スペースインベーダー」が大ヒットし、
アクティビジョンも「VCS」用ソフト「フィッシングダービー」と「ボクシング」を制作して、アタリに無断で発売して大儲けしており、
「VCS」は100万台を売り上げ、ここから販売台数を驚異的に伸ばす事になる。
さらに、アタリはナムコとの日本での独占販売権を強引に打ち切った事でナムコと裁判沙汰になっており、
和解で訪日した際に発売されたばかりの業務用TVゲーム「パックマン」の家庭用移植への許諾を得る事に成功する。
アタリはアクティビジョンを裁判で訴えていたが、「VCS」にはセキュリティチップ等の防護装置が無く、
元アタリの開発者はアタリに訴えられても勝算がある事を弁護士と調査してからアクティビジョン社を設立していた。
1981年にはアタリのアーケードからの人気作「ミサイルコマンド」「アステロイド」の移植版が大ヒットし、
アクティビジョンもアタリの業務用TVゲーム「アバランチ」をリメイクした「カブーン!」をヒットさせ、
「VCS」はこの年だけで200万台を売り上げ、計480万台の販売台数を達成する。
この年に世界初のワイヤレスコントローラを同梱させた「アタリ2700」を発売する予定だったが中止になっている。
(これは単品で1983年に発売されるが、反応やバッテリーの持ちが悪かった為にほとんど売れていない)
1982年には裁判で争っていたアクティビジョンと和解し、ライセンス制を導入してサードパーティが誕生する事になる。
元アタリとマテルの開発者達が設立したイマジック社もアクティビジョンに続き、2番目に「VCS」に参入し、
同様に元アタリの技術者兼デザイナーのロバート・ブラウンが在籍するアルカディア社も「VCS」に参入する。
(後にエマーソンラジオ社が1982年に家庭用TVゲーム機「アルカディア2001」を米国で発売したので、
商標絡みで問題が起きないようにアルカディア社はスターパス社に社名を短期間で変更している)
そしてこの年の3月にアタリから「VCS」版「パックマン」が発売され、
後に値下げして名称を「アタリ2600」に改称した本体に同梱した事で、700万本を売り上げる快挙を達成する。
アクティビジョンは「ピットフォール!」「メガマニア」「リバーレイド」が大ヒットし、
イマジックは「アトランティス」「コズミックアーク」「デーモンアタック」をヒットさせて人気メーカーとなる。
アルカディア社はカセットテープソフトを使った周辺機器「スーパーチャージャー」を、
専用ソフト「フェイザーパトロール」を付けて45$(1万円)で発売して展開し、人気を集める。
勢いに乗った「VCS」は600万台を売り上げ、発売から計1000万台の販売台数を突破する。
(この販売台数は「アタリ5200」も含んでいるので「アタリ2600」の正確な販売台数ではありません)
しかしこの移植と呼ぶにはあまりにお粗末なアタリが制作した「VCS」(以下「アタリ2600」)版「パックマン」が売れた事で、
ゲームを遊びもせずに利益しか考えていないワーナー側の経営陣は、人気映画のタイアップならたくさん売れると考え、
年末に「E.T.」を600万本生産して発売したのを皮切りに、インディ・ジョーンズの「レイダース・オブ・ザ・ロストアーク」、
賞金総額3000万円相当の宝がもらえる「ソードクエスト」と理不尽なゲームを大規模な宣伝をして次々と発売し、
一般ユーザーから見放され、1983年には400万台を販売するも販売店からの返品が急増してしまう事になる。
(この販売台数は「アタリ5200」も含んでいるので「アタリ2600」の正確な販売台数ではありません)
年末までには「アタリ2600」で多くのゲームを出していたUSゲームズ、アポロ、データエイジ、テレシス、ゾノックス等、
ヒット作を作れなかった会社が次々と倒産する事になる。「アタリ2600」の店頭価格は1万円まで落ちてしまう。
マテル社の家庭用TVゲーム機「インテリビジョン」(1980)に対抗する為に開発していた後継機「アタリ5200」も、
さらに性能の高いコレコ社の家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」(1982)の登場によって発売を急がねばならず、
見切り発車の末に1982年10月に発売した「アタリ5200」は本体が無駄にでかい上に価格が高く(6万円)、
コントローラの故障が相次ぎ、発売されたソフトも「アタリ2600」で発売したゲームのリメイクばかりで、
しかも内容がほとんど変わらなかった事もアタリユーザーの反発を招く事になる。
1983年に「アタリ5200」は改良されて再販され、専用のアダプターを接続すれば「アタリ2600」のゲームが
「アタリ5200」上でも遊べるようになったが(再販版のみ)、既に失われた信頼を回復するのは困難だった。
(アダプターによる互換性も完璧ではなく、「ピットフォール!」と「マウンテンキング」で不具合が発生する)
アタリがパソコン市場で展開していた「アタリ800」も、コモドール社の「コモドール64」との低価格競争に敗れていて、
アタリ社は毎日200万円の損失を出していたので、ワーナーは負担となっていたアタリを売却する事を決める。
1984年7月にアタリの家庭用部門は、元コモドール社長のジャック・トラミエルに買収され、アタリコープ社となる。
(アタリの業務用部門はアタリゲームズ社となり、1985年2月にナムコがワーナーから株式を買い取り、経営権を取得した)
ジャック・トラミエルがアタリの開発部に乗り込み、「うちは今日からパソコン会社だ」と発言した事で、
発売直前だった「アタリ5200」の後継機「アタリ7800」は、すべて倉庫行きとなってしまう(これは1986年に発売される)。
1984年末には在庫の「アタリ2600」「アタリ5200」をすべて出荷し、200万台を販売して終了する。
1982年に家庭用TVゲーム機「コレコビジョン」を発売してアタリのライバルであったコレコ社も
パソコン「アダム」で失敗していて、1984年中に「コレコビジョン」の製造中止を決定する。
任天堂が米国で「NES」を発売する1985年には、米国の家庭用TVゲーム市場は無くなっていたのである。
(「コモドール64」(1982)、「モデル5170」(1984)、「アタリST」「アミーガ」(1985)等のパソコン市場に流れていった)
1985年の新作ソフトは「アタリ2600」の「ゴーストバスターズ」と「コレコビジョン」の「アルカザール」のみで、
共にアクティビジョンの作品である。「アタリ5200」の新作ソフトは1985年に1本も出ていない。
ただし「NES」ブーム時に一時的に復活し、米国では1990年の「クラックス」が最後の「アタリ2600」ソフトとなっている。
欧州では1992年の「アシッドドロップ」が最後の「アタリ2600」ソフトとなっている。
最終的に「VCS」は北米で1400万台以上の販売数を記録している。
欧州では西ドイツで1980年から1984年の間に45万台が販売されたのが確認されている。
発売から翌年の1978年にジョイスティックとボリュームコントローラを2つずつに、「コンバット」を同梱して発売する。
1980年に同梱内容はそのままに本体の難易度切り替えスイッチ2つの位置をを背部に変更し、小型化して発売する。
1982年に「VCS」は「アタリ2600」に名称を変更する。新版は本体前面の木目を無くし、
ボリュームコントローラが別売りになり、 「コンバット」の代わりに「パックマン」を同梱して
定価を半額の100$(2万円)で発売する(付属品無しのバージョンも発売されている)。
1983年に日本で専用のコントローラ(スティックとボリュームの一体型)が2つ付いた「アタリ2800」が
2万4800円で発売される。時期が遅く、発売2ヶ月後に任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売されたので失敗に終わる。
1986年に本体がさらに薄く小型化された「アタリ2600Jr.」を50$(8000円)で発売する。
1987年に日本版のコントローラに近くなった新版の「アタリ2600Jr.」が発売される。
また、この年にシアーズ社は日本の「アタリ2800」を「ビデオアーケードII」の名で発売している。
1978年の再販版の「VCS」から製造が香港なのは、この頃のゲーム界の裏では香港の闇組織が暗躍していて、
コピー商品を作っていた彼らを止めさせる手段として香港の会社に製造を委託していたという事情がある。
(人件費が安いのも理由の1つ。非公認のアダルトゲームを展開していたミスティーク社の製品も製造は香港である)
後のコレコ社の「コレコビジョン」も香港の会社である普澤(ビットコーポレーション)との共同制作である。
米国のスペクトラビデオ社は香港の会社(マスティール等)にオリジナル性の高いソフトを作ってもらって発売していたが、
普澤が「アタリ2600」で発売していたソフトは、既存の他社製品を改造しただけのコピー品と言える物が多い。
日本でまったく普及しなかったので日本での知名度は無いに等しいが、米国では非常に有名なゲーム機である。
(しかし最近になってYouTubeの登場により海外で人気のAVGNが紹介した事で日本でも認知度は高まりつつある)
このゲーム機が米国で普及していなければ、日本のファミコンも出ていなかったかもしれない事を考えると、
ゲームの歴史上、極めて重要な存在であり、今改めて見直すべき機種であると言える。
この時期の海外TVゲーム機の動向やソフトの詳細は、日本の文献やサイトでは絶対的に情報が不足しており、
海外サイトを歩き回って英文を訳しつつ書き出して、独自調べも併せて裏が取れた事をまとめて書いているが、
日進月歩のゲーム界でソフトの正確な発売日が分からなかったり(英Wikipediaでも月どころか年が違ってたりする)、
本体販売台数も大雑把な記録が多く、現在これらを特定するのは非常に困難であり、参考程度に留めてもらいたい。
これは日本のセガの家庭用TVゲーム機「SG-1000」ソフトの発売日やパソコンゲーム等でも同様なのだが、
当時は機種や国によっては問屋を使わずに、販売店から注文のあった商品だけが直接卸されていたので、
店によって新製品の入荷時期が違い、細かな発売日が定められていなかったのが原因である。
(さらに米国は大陸も広いので輸送も時間がかかるし、国内で時差もある)
同年に発売された多くのゲームの前後関係が分からず悩ましいので公開を見合わせていたが、
やはりファミコン以前の家庭用TVゲーム市場を伝える重要なゲーム機である為に、これから名作を続々と紹介する予定だ。
VIDEO 「アタリ2600」の「E.T.」のクリスマスCMです。良いCMですが、ゲーム内容はたくさんの親と子供を裏切りました。
VIDEO 日本で発売された「アタリ2800」のCMです。家で「ポールポジション」が出来るのはアタリだけ。
これだけ違うと「ポールポジション」と呼べるかどうかは疑問です。当然ですが実際にこんな良い音は出ません。(笑)
VIDEO おまけ。「アタリ5200」の「コレコビジョン」との比較CMです。ちょっと「アタリ2600」版「パックマン」の自虐も入ってる?
ライバルの「コレコビジョン」に「アタリ5200」のソフトを無理やり差し込んで、「入らないぜ!」とデカさをアピールしています。
(このデカければ良いと思われるだろうという誤解は、後に「ターボグラフィックス16」「XBOX」にも受け継がれます)